個人レベル心理・行動傾向と組織レベル変数の関連
日々の意思決定の背後には人間の心理・行動メカニズムがあり、その心理・行動メカニズムは周囲の環境の影響を受ける。本研究は、社会・文化心理学の中心的テーマのひとつであるこの現象に取り組むものである。心理・行動メカニズムに対する環境の影響は、従来、異なる文化圏(e.g., 日本とアメリカ)に住む人々を比較することで検討されてきた。これに対し、本研究は、所属する企業組織の特徴に注目する。心理・行動傾向を複数の組織で測定し、心理・行動の組織間分散と関連する組織レベル変数(e.g., 組織規模、人事制度、組織風土)を検討する。
具体的には、本研究では複数の企業組織の従業員を対象に質問紙調査を実施している。複数の企業からデータ収集することで、個人レベル変数と組織レベル変数を同時に組み込んだマルチレベル分析が可能となる。これにより、心理・行動の組織間分散と組織レベル変数の関係を検討することができる。複数組織から収集したデータ全体を巨視的に捉えるこのアプローチを進めると同時に、調査参加企業ごとの分析も行い、さらに各企業の歴史・現在の状況・将来展望などについてのインタビューも行うことで、質的データの収集および微視的視点での分析も行っている。
マルチレベル分析を行うためにはできるだけ多くの企業組織からデータ収集を行う必要がある。滋賀大学経済学部学術後援基金の支援を受け、2017年度もデータ収集の継続を行った。現在までに約30組織からの参加を得たが、計50社からのデータ収集を目指して2018年度もデータ収集を継続する。
現在までの予備的結果として、会社への愛着を感じている人が多い企業ほど人ほど全体的な幸福感が高く、職場の人との信頼関係を築いている人が多い企業ほど全体的な幸福感が高いということが示されている。今後、調査参加企業数を増やし、より信頼できる結果を示していく予定である。
本プロジェクトではこの他にも、企業組織で働く人々の心理・行動に関する様々なデータを収集している。そのうちのひとつが、メンタルヘルス不調による休職に関するデータである。このデータの分析結果が、滋賀大学経済学部学術後援基金の支援を受けて、学術誌『心理学研究』から刊行された(笹川・中山・内田・竹村, 2017)。この論文では、従業員のパーソナリティ、特に自己価値の随伴性に注目した。自己価値の随伴性とは、「個人の自尊感情がどのような事象に随伴するのか」についての個人差をとらえるために提唱された概念(Crocker & Wolfe, 2001)で、この研究では3種類の事象(競争、他者からの評価、自律性)それぞれに自己価値がどれくらい随伴しているかを測定していた。メンタルヘルス不調で休職している者 (以下、休職者)と就労者を比較したところ、休職者は3種類いずれの自己価値随伴性においても就労者より高かった。これは、休職者は、就労者に比べて、競争に勝ったかどうか、他者から好意的に評価されているかどうか、自律的に働けているかどうかに敏感に反応する(それができていないと自己価値を低く感じる)傾向があることを意味している。また、職場(休職者の場合は休職前の職場)の上司や同僚が重視している価値観と、従業員の自己価値随伴性の間にどれほどのずれがあるかを休職者と就労者で比較する分析を行った。その結果、就労者に比べて休職者は、職場の価値観と自分のパーソナリティ(自己価値の随伴性)にずれを大きく感じていたことが示された。
以上の分析結果は、職場(マクロ)と個人(マイクロ)の間の関係性が重要な役割を担っていることを示唆している。メンタルヘルス不調は、必ずしも本人個人の問題ではなく、また職場の特徴(e.g., いわゆる「ブラック企業」であるかどうか)だけの問題とも限らず、その組み合わせの問題でもあることが考えられる。
ただし、笹川他(2017)のデータでは、休職者・就労者それぞれが「職場の価値観」をどう感じたかの形で測定されていた。これはこの研究の限界で、別解釈の余地を残す。すなわち、従業員のパーソナリティと職場の価値観の間にずれがあったからメンタルヘルスに不調をきたしたのではなく、別の理由でメンタルヘルスに不調をきたしてから、「自分の性格と職場の価値観にずれがある」と感じるようになった可能性を否定しきれない。こうした限界を超えるためには、職場の特徴を別の形で測定して分析する必要があり、そのためには本プロジェクトで遂行中の複数企業組織からのデータ収集が必要となる。
【論文】 笹川果央理・中山真孝・内田由紀子・竹村幸祐 (2017). メンタルヘルス不調による休職者の自己価値の随伴性 心理学研究, 88, 431-441.
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