現代アイルランド詩研究 及び 詩を「翻訳する行為」についての比較文学研究
社会システム学科 准教授 菊地 利奈
研究概要本海外調査研究助成を受け、夏季休業期間を利用した海外渡航を2回実施した*。第1回目の渡航では、ポルトガルで開催された国際学会The International Association for the Study of Irish Literatures (IASIL) にて、研究報告「The First Two Translations of Chamber Music in Japan: How the Act of Translation Influenced Japanese Prose Poetry」をおこなった。
報告では、ジェイムス・ジョイスの長編詩『Chamber Music』(1907)の一部を日本で最初に発表した佐藤春夫訳(1926)、左川ちかによる日本語初の全訳『室楽』(1932)、日本語訳として広く知られる西脇順三郎による全訳『室内楽』(1933)を比較検討し、「翻訳するという行為」(the act of translation)が、これらの日本詩人らの詩作にどのような影響を与えたか、比較文学的視点から考察した。
西脇がヨーロッパ詩から影響を受けたことはよく知られるところであるが、左川がジョイスを訳すことで、英語詩から多大な影響を受けたことは、これまで研究されてこなかった。現在ではほとんど存在さえ知られていない左川のジョイス訳が、散文詩であることは注目に値する。左川は、当時の日本詩壇では新しいスタイルであった散文詩を利用し、斬新で独特の詩を書いた。その背後には、彼女が翻訳という行為を通して英語詩から受けた影響があったのではないかと思われる。
通常、最初に訳を発表した者の名前が訳者として残ることが多いが、ジョイスの『Chamber Music』については、西脇の訳が最初の訳であるかのような扱いをうけていることも興味深く、そこにジェンダーの壁があったのかどうかが、報告後の質疑応答で議論された。
本報告は、「Translation and Interculture」のパネルでおこなわれた。パネルでは、アイルランド詩人とポルトガル詩人の比較、アイルランド詩のドイツ語訳比較研究などの報告がおこなわれた。学会開催中は、多くの研究報告に出席し、他の研究者との意見交換をおこなった。また、アイルランド詩人マイケル・ロングリーの詩の朗読会に出席した。
第2回目の渡欧では、現代アイルランド詩の活動の中心地であるダブリンに滞在し、資料収集につとめた。研究対象である詩人ポーラ・ミーハンとマシュー・スウィーニーを中心に、国立図書館(National Library of Ireland)及びUniversity College Dublin の大学図書館にて、資料を収集した。アイルランドの出版社から出版される学術誌や詩集は、アイルランド国外では入手しにくいものが多いため、アイルランド国内で最新情報の収集をおこなうことは重要である。また、Trinity College などにおける講演会やレクチャーにも出席した。
同時に、1933年以前に出版されたジョイスの『Chamber Music』のすべてのエディション(貴重資料含む)について調査をおこなった。左川が翻訳に使用したエゴイスト版を確認できたことは収穫であった。また、西脇翻訳に影響を与えた可能性があるフランス語訳のエディションが発見できたことも収穫であった。
アイルランドからイギリスに渡り、ケンブリッジ大学図書館にて、引き続き資料収集をおこなった。西脇が翻訳を始める前にイギリスで出版した英語詩集の原本など、日本では国立図書館でも所蔵がない資料を収集することができた。また、マシュー・スウィーニーに関する出版物は、アイルランド国内の出版社よりもイギリス国内の出版社から発行されることが多いため、限定本や貴重本、初期の作品が掲載されたパンフレットなどを収集することができた。
今後は、これらの資料を使用して、ジョイスの『Chamber Music』の翻訳における比較文学研究をすすめる。また、1999年からおこなっている現代アイルランド詩における研究を、上記出張期間に収集したポーラ・ミーハンとマシュー・スウィーニーの資料を中心に発展させる。後者の研究については、研究成果のひとつが「現代アイルランド詩―マシュー・スウィーニー試訳考(一)」として、『彦根論叢』第378号に掲載される。
*2度にわけて実施した理由は、学内業務に支障をきたさないための一時帰国が必要不可欠であったためであり、渡航費用を無駄に使用したわけではない。
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